社会人そろそろ3年目

はてなブログに移行してから初めての記事です。

最近自分の人生これでいいのかなという感じの漠然とした悩みがすごくて、

仕事がたてこんで爆死進行なこともあって希死念慮がとても高まっている

それでこの間コミティア行ったらマンガってやっぱいいなーって思ったり。

とにかく僕も何かを作りたい、そう思った

作っている自分でいたいんだな、ということがわかった

ただ、何をつくりたいのかがわからないのだ

結局創作ワナビ勢でしかなかったんだなって思わされる

25歳にそろそろなろうというタイミングでようやく気付かされた

ワナビなりに動画はちょっと作れるしちょっとデザインできるしちょっと物語かけるしという感じでちょっとずつかじった結果結局なんもないような

なんもないのか?持っている手札がしょぼすぎるけどこの組み合わせでもしかしたらなにかできるのかも。そういう気持ちがぐるぐるするだけで結局何も行動を起こせない。

 

とにかく、自分を見つめなおすきっかけとしても、一番簡単な創作である自伝的なやつをやろうかなと思った。

 

さっそくやります。

まず生まれてから物心つくまでの幼少期。

このころは幼稚園に行きたくなさ過ぎてずる休みしたり幼稚園に行っても午前中は泣き明かして終わるみたいな感じだった

思えば僕が環境の変化に弱いのって普通にこのころからで、これを少しずつ戦って広げていったのが僕の人生だと思う

母さんは僕になんらかの習い事をしきりにさせたがったが全てこれを拒否したし母も強くは何も言わなかった 何かをやりたいという自己主張を怠った ここでピアノとかやっておけば変わっただろうに。せめて、絵の教室に通いたいとか、何かを教わる機会を持つべきだったと思う。

とにかくポケモンで何度も同じパーティーで殿堂入りするとかやってた。決まりきった工程をなぞるのが大好きだった。雑魚狩り最高。毎朝幼稚園に行く前に殿堂入り一発キメてたような覚えさえある

あとバンジョーとカズーイで目をつぶってでも倒せそうなキングコウルを何度も倒したり。安心できる位置から発砲していたいタイプだったないつも。

変化が本当に嫌いだったのだと思う

幼稚園にやっと適応できたのは年中さん以降だった気がするな ようやく泣かなくなった

あと蔦屋でアニメレンタルして観るっていうのがめちゃくちゃ好きだったと思う

特に幽遊白書 これはまじでアホみたいに観た 112話あるんだけど幼稚園時代に3周したことはよく覚えている 

あとスパイラル推理の絆、これ当時の僕にとってはなんのこっちゃわかんねえんだけど面白かったな

何かをつきつめるってタイプじゃなかったね、このころから。ポケモン図鑑とか30匹くらいしか埋まってなかったんじゃないかな。

自分の手の届く、安心できるごく狭い範囲でやっていきたいんだよな。

いっつも同じ構図で青眼の白龍を描いてた。

ちょっとだけ冒険して、あとはその冒険の成果をしゃぶりつくすタイプだ

そういう繊細さを見かねてなのか、母親は僕がこのまま公立の小学校になんて上がろうものならうまくいかないだろうと思ったらしく、受験をさせてきた

受験を頑張ればベイブレードのゲーム買ってあげるよみたいなことを言われたが、お年玉を使ってそのゲームを先に購入するという驚異的な我慢のできなさを発揮していたと思う 何かをエサにして頑張るってことが僕には本当にできない。ADHDだからだと思う。

全然関係ないんだけど僕の育った家庭環境は経済的には不自由がなかったが治安が最悪だった。毎日じじい(祖父)とおおまま(祖母)が喧嘩をしていた。今になってみると相当異常だった。毎日怒鳴りあいしばきあいの喧嘩が繰り広げられていた。絶対に夕飯時だった。ちなみに我が家の夕飯は決まって18時だった。ほかの家は19時だったりしていたので結構驚いた。

食事で思い出したけど僕は小さい頃はかなりの偏食だった。一度好きな食べ物が見つかると飽きるまでリピートする癖があったし、というか炊事担当であるおおままも僕が好きなものをリフレインしまくるという悪癖があった。

父親は僕が5歳くらいのときに単身赴任で埼玉の浦和に行った。まあそこで浮気して離婚することになるわけだけど。

僕は両親のことをパパ、ママと呼んでいた。一人称はなぜか「うち」だった。

こうした呼び方や習慣は年齢を経ると自然と変わっていくと思っていた。この考え方は明らかにポケモンの影響が強いと思う。

自分のことをうちと呼ぶのは変だという指摘を受けたような記憶があるようなないような。そんでいきなり俺にするのはちょっと違和感があるだろと思ってまずは僕でクッションを置くことにした。僕で助走をつけた後に俺にしようとした。でも結局これを直すタイミングが存在しなかったので僕呼びのまま25歳まできた。僕の周りで自分のことを僕呼びする人間マジでほぼ出会ったことなくて、創作物でもハンターハンターヒソカとか逆転裁判成歩堂龍一くらいだと思う

話を戻すとママ呼びは小5くらいでなおした。メジャーの影響で母さん呼びにした。このタイミングではすでに父親は福田家の敷居をまたぐなって感じだったので呼び方を強制することがかなわずパパ呼びで固定されることとなった

で、そういや小学校受験を母親に受けさせられた話だけど運よく地元では一番頭と治安の良い学校に入学することになった。これが僕の人生の中での一番の幸運だった

正直この当時は幼稚園でも仲の良い友達ができたりしていたから、受かりたくなかったと思う。

ちなみにこの学校の入試システムはやや独特で、成績順に上から受験生を合格定員より多めに選定したあと、残った子供たちにくじ引きをさせて定員まで絞り込むというものだった。つまり足切りラインを突破したものの中で、一番成績がよかったやつが落ちることも、ドベが受かることもある。運命力を加味した入試だった。

僕は5月生まれで月齢は高かったこともあってか足切りは回避し、無事当たりくじを引き当てることができたというわけだ。

僕は環境の変化に対してクソザコなので小学校もずっと苦痛だった

最初は泣いてばっかりだった気もする

バスで逃げずに通学してたの偉いよな、そういう規範意識はあんだよ

健ちゃんと仲良くなるまでうすぼんやりとつまんない感じだったな

はー

社会人2年目

Yahooブログ、終わるらしいですね。
拙いながらも「発信者側としての」インターネットにどっぷりになりだしたのはブログを始めてからだったような記憶があり、
僕の出発点ともいえる場所が無くなってしまうのは寂しいですね。

開設日見てみたら13年前だったので驚き。今僕24歳なので、人生の折り返しよりも前にこれ始めてたんだね。

ブログの引っ越し先がYahooから案内されているけど、僕ははてなブログがいいかなぁ。
一度アメーバブログも始めたけどあっちは全然続かなかったな。
はてなブログのアングラですって気取っている感じがいい。気取ってないホンモノの人もちゃんといるのがいい。

比較的最近の更新だと、大学1年生のころのソープランドに行きましたとかプリパラにはまりましたとかそういう記事か。
それでも5年くらいは前になっちゃうんだなぁ。
大学生になったときは自由に使える時間が無尽蔵にあるように感じられたし、初めての東京生活だったし、ほとんど大人だから行動にも制限がなくなったし…目に映るもの全部が新鮮で楽しくて仕方なかったな。

今はというと、ただただ疲弊して行っている毎日です。
何かが楽しくて仕方ない、みたいなことが全然なくて、
創造的なこと考える気力も時間もなくて、毎日「なんかの拍子で気絶して休めないかな」とか考えてる。

結構憧れな会社に勤めることはできたけど完全に落ち目だったから、今は潰れていく音がグシャって聞こえてくるかのようだよ。
だからってわけでもないけど先輩に誘われて始めた副業は、
結局先輩にひっついているだけで何も主体的にやってないし、作業者でしかないし、
土日はまるまる潰れるしであんまりいいことがないかも。
はじめたばっかりのころは「これをやっていればいつかツブシ効くかな」って思ってたけど、このままだとただのジリ貧だと思う。

僕の人生っていっつもそうだよな。やめる勇気がないのと妙にチャレンジ精神が旺盛なのが相まって、
自分の本当にやりたいことなんてわからずに「なんとなくこれやっておけば将来どうにかなるかな」って時間を浪費していく。

やりたいこと、朧げに見えてきただけど本当にお恥ずかしい限りで、
僕はただ周りから賞賛を受けたいだけなんだよ。
本来賞賛っていうのは誰かのためにとかそういうことの結果にあるもののような気がするけど、
僕は過程と結果が転倒しててとにかくちやほやされたい。

副業忙しくなる前にVTuberはじめたんだけど、あれは本当に楽しかった。
ていうか僕が人生でめちゃくちゃ楽しかったの、動画作りくらいだよね。漫画づくりは辛さがちょっと勝ってたと思う。
くだらない動画を一人で黙々と作るのが好きなんだ。

それ以外はなんにもチャレンジとかほんとはしたくないし、集団で行動するのも大嫌い。
僕が、僕だけが好き勝手にやって生きていきたい。

けど、気づいたらそれとは全然違う生き方に収まってんだよな。

本業も忙しいよ。僕自身計画性全然ないからさ、毎日ウオオーーって仕事して、
本当はサービス残業バリバリで副業云々以前にオーバーワークなのにアラートも出せないでさ。
昨日なんか沖縄出張からのそのまま土曜日突入だったのに延々仕事して結局ソーキそばだけ食べて帰ってきたんだよ?
最近なんのために生きているのかわからなくなってきたよ。

前まで何にもせずにぐうたらしてた時は、さながら死んでいるようだったけど、
今の僕が生きているかと言ったらちょっと微妙。
自分が自分じゃないみたいな感覚に襲われてる。それと何かに常に追いかけられている。

僕がブログはじめたばっかりのころは「思い出は億千万」が流行ってて
僕はあのMVをなんとなくメロディーがかっこいいなとかゴムの歌い方がおもしろいなとかアングラっぽいなとかそういう気持ちで観てたんだけど、
今になってあの歌詞の言っていることが身に染みて感じられる。

あの歌詞冷静に考えると全然救いないよな。基本思い出に対する切なさ満載の歌詞で、
ポジティブなのは「君がくれた勇気は億千万」っていう異常にフワッとしたところだけだ。
一歩進めば失敗ばっかりで、勇気もクソも全くないんですけど、どうすればいいんだろうか…。

なんもかんもやめて楽になりたい。
このブログを始めたばっかりのころに戻りたいよ。
ずっとそう思ってる

プリパラの魅力に関する考察

 
書きかけの項目です
 
私は先月末からタカラトミーアーツ/シンソフィアが送るデータカードゲーム「プリパラ」に大変夢中である。
なぜこれほどまでに夢中にさせるのか、そのことについて考えてみたいと思う。以下に示すような順序で本論は展開する。
 
1.プリパラの概要
2.ゲーム内容自体に見る魅力
3.テクノロジー的魅力
4.課金行為に見る魅力
5.総括
 
1.概要
「プリパラ」とは、2014年7月から稼働を開始した女児向けアーケードゲームである。販売元はタカラトミーアーツ/シンソフィア。現在東京都内だけでも100店舗程度の玩具店及びゲームセンターに設置されている。いわゆるデータカードゲームという括りで、プレイヤーは1プレイ毎に1枚ずつ筐体から排出されるカード(プリチケ)を用いて自分固有のキャラクター(マイキャラ)に衣装を着せてアイドル活動をするというゲームである。詳しいゲームの流れは以下に示す。
①筐体にプレイヤーが100円を投じる。
②ゲーム開始時に前回までのプレイデータを読み込む
③プリパラという異世界でアイドル活動をするという設定で、今回のプレイではどの活動をするか選ぶ(ライブをする・プリクラのような写真を撮る・遊ばずにカードだけ買う)
④今回のプレイで使用するキャラクターを選ぶ(マイキャラと他4人の既存キャラから選択可能)
⑤ライブ(リズムゲームである)で遊ぶ曲を選択する
⑥マイチケを用いて使用キャラの衣装をコーディネートする
⑦トモチケ(後述)を用いてバックダンサーをつける
⑧ライブ開始、画面に配置されるターゲットが画面中央の丸枠に重なった時にタイミングよく筐体の赤ボタンを押すリズムゲームである
⑨ライブ終了後結果発表。⑥⑦⑧の出来栄えが総合的に評価される。得点、CPUに対する順位と、使用している筐体でその日に遊んだ人たちに対する順位が表示される
⑩これまでのプレイで獲得した総合得点が表示される。
⑪2種類の衣装アイテムがランダムに表示され、その中から欲しいものを1つだけ選ぶ。
⑫今回のプレイデータ、⑪で選んだアイテムデータが埋め込まれた新しいマイチケがその場で印刷される。
⑬プレイ終了

プリパラをやってきました。

 
前回の記事に書いた通りプリパラ(末尾に!ないんですね)にすっかりハマってしまったので、友人らと自宅でゲームをして遊んだ後に新宿のヨドバシカメラへ行ってプリパラをしてきました(この時点で友人とは別れている)。実家なら目の前にヨドバシカメラがあるってくらいの立地だったんだがな。ここは残念。
 
さっそく筐体に座ってプレイ開始。プリパラっていうのはムシキングをはじめとしたワンコインでカードがもらえてそれを使って楽しんでいくタイプのゲームです。まぁムシキングのレベルのまま立ち止まっていたゲーム業界なわけではないので、数々の進化を遂げていますが…それはおいおい。
 
まず今回は初めてのプレイだったのでキャラはデフォルトのまま、そしてカードによってカスタマイズできる衣装についてもデフォのまま。デフォだと練習着のままなのですが、練習着でステージに上がるとか…アイドルの屑。
 
そのあとは流れるようにステージでのライブです。この辺で感じたのは画面のデカさと綺麗さです。据え置きゲームとDSの中間くらいの画質で、目の前一面に画面がドーンとあります。ライブでは選んだキャラが選んだコスチュームで踊っている映像をバックにしてリズムゲームが進行します。正直ライブ映像に集中したいのですがそれは。初回のイージーなモードだったためかボタンは三種類のうちの一つだけしか使用しませんでした。小さな子供向けだけあって判定もゆるく、さっぱりリズムに乗れていなくてもパーフェクトが出ます。途中の演出で「いいね♡」という文字がニコニコ動画のごとく画面を右から左へ駆け抜けていく演出も面白かったです。
途中からオタク三人くらいのギャラリーがついてしまい辛かった。なんせ練習着で躍らせているわけですからね...
 
ゲームが終了すると結果発表。ゲームの出来栄えやコスチュームの良さなどについてはすべて「いいね♡」に換算され、このポイントによって順位が決まります。いったいなんの順位なのかはよくわかりませんでした。店内順位かな・・・?
 
で、結果は三位。ですがこれでは終わりません。この後に「マイキャラ」、つまり自分固有のアイドルを作り始めます。え、なんでこれをライブ前にやらせてくれなかったんでしょう。まぁともかくキャラを作ります。名前は僕がネカマ決め込むときの鉄板ネーム「音菜」から「おとな☆」にしました。ひらがなしか入力できません。
 
そして容姿を決定していきます。瞳の色、髪型、髪の色、肌の色の順に選択していきます。個人的な感想を言わせてもらえば、瞳の色ってのは「画竜点睛」なんて言葉もあるように最後ないしはせめて髪のあとに決めさせてほしかったです。あとそれぞれのパーツを選ぶ時間がえらく短かったです。三〇~四〇秒くらいだったのでは?一度決めたら変えることのできない大切なデータなのですから、もう少し悩ませてほしいものです。もちろん混雑緩和の意味があるのは承知していますが。
 
最後にショップ画面に飛び、今回獲得するアイテムは何にするか選択します。アイテムを最後に選ぶ…これもムシキングとは違うところですね。さらに選択の余地もあるという。
 
そしてこれが最後の目玉。今回のキャラクター情報、「いいね♡」取得数、マイキャラ情報、獲得アイテムなどをプリクラのように「その場で印刷」した「プリチケ」が筐体の下側に出てきます。画像を見ていただきましょう。こちらです。
 
イメージ 1
画像横向きですみません。
 
驚きなのはバーコードが二次元バーコードであるということですね。ハゲみてえな通常のバーコードに比べてはるかに多くの情報を詰め込めるという二次元バーコード。確かにたくさんの情報を詰め込んでいますし、省スペース化にも成功しています。なんなくこれをその場で印刷できてしまうというのも技術の進歩のたまものでしょうね。しかしカードにこれでもかというほど散りばめられたキラキラは相変わらずで安心しました。
 
そしてこのカードの上側(画像左側)三分の一はパキっと取り外すことができます。(通称パキる)
残った三分の二が自分の固有情報を保存した「マイチケ」になり、次回のプレイの際それまでのデータを引き継いで再スタートするためのアイテムになるようです。よく見ると中央紫色のらぁらちゃんの名前が僕のマイキャラである「おとな☆」に代わっているので、次回このマイチケをスキャンすればらぁらちゃんではなく「おとな☆」を使用できるのでしょう。だよな・・・?
パキった残り三分の一は「トモチケ」となります。トモチケは友達チケットの略で(←おそらく)誰かと交換して真価を発揮します。三人一組でチームを結成してライブをする際に、このトモチケのデータがあれば、トモチケに記載されたキャラをチームメイトとして迎え入れることが可能なのです。これはいわゆる「助っ人カード」のような感じだと解釈しました。
 
ま、プリパラを一緒にやる友達なんていないんで一人でマイキャラ三人持ってトモチケをくるくる回す感じになると思われます。なんぞこれ。
 
そして練習着のままライブに上げてしまったのが申し訳なさ過ぎたのでコスチュームカードセット(正しくはミルコレ)をヨドバシポイントで購入しました。
イメージ 2
これです。プリパラの前身であるプリティーリズムのキャラクターの衣装をプリパラで使えるぞっていう話らしいのですが、冷静に見てみたらこれただのだっせえ私服だ。だせえ私服で踊るアイドルの屑。結局屑だった。
 
ミルコレスターターセット、欲しいけど四〇〇〇円もするのはちょっとな…バイト代出るから買えるけど…
 
これはミルコレって言ってミルフィーユコレクションの略ですたぶん。ミルフィーユというように「層を重ねる」ということがこのカードの鍵。ボディ、トップスボトムス靴というように各要素がそれぞれ一枚のカードになっており、それらを重ね合わせることでコーデを完成させることができます。これにも二次元バーコードが付いており、プリパラで使用できるのです。
 
層を重ねる…ということはボディには素っ裸のアイドルが・・・?
イメージ 3
ばっちり下着着用でした。腕は後ろに組んでいてほかのコーデカードを重ねると隠れる仕組み。いろいろとデッサンおかしいとは思う。
 
とまぁこんな感じです。今日もまたプリパラやりに行こうと思います。昨日はよる10時前にやったので周りに人はほとんどいなかったんですが、昼にやったら子供いっぱいいそう。こわい。
 
ではでは

夏休みも終わります

 
どうもこんばんは。Fukkuです。
というわけで夏休みが終わります。大学生1年目の夏休みとしてこれでよかったのか?という気がしてなりませんね。というのもほとんど中途半端に遊びほうけて過ごしていたからです。自戒の意味を込めて、夏休みを振り返ってみましょう。
 
ちなみに、僕の夏休みは7月末日から9月25日までです。厳密にいうと終わりではないんですが、明日明後日と微妙に忙しいのでもう終わったようなものです。それでは...振り返ります...
 
①夏休み最初~お盆開始前
家にずっといました。暇なので始めたのが「艦これ」です。ゲームの中のシステムに現実の時間を活用した部分が多く含まれており、だらだらと休みを浪費するのにはうってつけの遊びでした。結局飽きてしまいもう1か月近くログインしていないのですが、かなり艦娘の引きは良かったみたいです。
あと、どうしてもアイドルマスター実況プレイをやりたかったのでXbox360やキャプチャデバイスなどもろもろの準備を整えました。
僕はいわゆる老害というやつで、ラブライブ!などの新参アイドルモノのみならずアイドルマスター2さえも認めていません(プリパラ!は特例により免罪)。小学5年生の時に愛した星井美希だけが僕のジャスティスなのです。
ただまあ一番の問題は何かっていうと購入した中古のXbox360が起動しないっつーことでした。ファック。
結局テスト動画として上げた艦これ実況がむなしく投稿動画履歴に刻まれましたとさ。
終わった!第1部完!!
 
②お盆
あったのか?お盆?というくらいめまぐるしくバタバタとしていました。具体的には実家と東京を3往復くらいしましたね。無駄無駄無駄アンド無駄でした。実家も朝食付きホテル程度の活用しかしませんでした。まったく親孝行、おばあちゃん孝行はしなかったです。ごめんなさい。帰省のたびに弱っていくおばあちゃんになにかしてやれないものかと常に考えています(何かするとは言ってない)。
お盆のとある金曜日あたりにふと思いました。「そうだ 遊戯王 始めよう」と。その足でさっさとヨドバシカメラマルチメディア宇都宮に行きHERO'S STRIKEを3箱買いしました。ストラクが強いって時代が到来したのは出戻組としては大変うれしいことで、スト楽だなんてクソみてぇなギャグを吐きたくなりますね。
高校までの友人とたくさん会えたのもこの時でした。
会いたいという意思表示は全くしていないのにもかかわらず友人二人が僕の家に僕のいない間に侵入しそのまま泊まっていったこともありましたね。ふざけんなよ。
 
③お盆終わり~8月後半戦
やはりこの時期の目玉といえばサークル夏合宿ですね。僕はいまウェイサーと漫画を描くオタサーを兼サしウェイのほうでは限りなく空気になってしまっているという状況なのですが、オタサーのほうは入学してからずっと大好きな居場所であります。そこのすごくえらい方に5月からtwitterブロックされてしまっているのですが僕は変わらず居場所だと思い込んでいます。そのオタサーの夏合宿に行ったのでした。カードゲームとコスプレと水泳とバーベキュー…そして深夜に恋愛の話をしようものなら空気が凍り付く、そんなオタサーらしい合宿が僕はとても気に入りました。村八分にされない限り何度でも参加したいと思います。
中でも印象に残っているのは最終夜宴会でサークル入会当初の話をしていたときですね
 
ぼく「…というわけで僕だけが入会して、一緒に見学に来た友人は入らずじまいだったんですよ」
えらい人「ま、まあFukkuくんが入ってくれたからよかった(目をそらす)」
周囲の人「目が泳いでるんですけどwwwwwwwwwww震え声wwwwwwwwwwwwwww」
 
こんな感じ。あと夜に限らず四六時中エロい話してました。
 
④九月
みっちゃんが家に来ました。9月5日にお邪魔するねっていうんで準備してたんですが9月4日の夜から9月6日にかけてのまさかの2泊3日だったのが一番衝撃でした。
部屋を掃除している最中にうっかりコップを倒してしまい買ってから間もないパソコンくん8万円がお亡くなりになってしまいました。正直な話、みっちゃんのために掃除なんてしてなけりゃ…と思ってしまった僕は心底クズ人間です。本当にごめんなさい。みっちゃんは数少ないまいべすとふれんづです。
彼とは本当に付き合いが長いです。一番付き合いが長い友人ですねぶっちぎりで。共に大人の階段を上ってきたとも言えるわけなんですが、彼はこれまで数人の女性とのお付き合いの経験がありとっくに非童貞であるのに対し、僕はバリバリの童貞であるというのは、どこかで階段を踏み外してしまっていたためなのでしょうか。
ですがその踏み外したステップを取り戻す機会がありました。そうです、ソープランドです。みっちゃんが調べてくれたお店に一人で向かい、階段を上りなおすことができました。彼とはまた一つロマンを共有したわけですね。ありがとう。
 
そして9月の真ん中にはこれまで描いていた漫画の締め切りがありました。作業はコツコツやっていたのでそんなにつらくはなかったですが、いったいどんな評価をいただくかが気になります。二次創作は禁止と言われたので無論オリジナルですが、1コマだけ二次というかパロディというかがあるのがもしかしたら怒られる対象になりうるかもしれないとビクビクしています。個人的にはあれで怒るってのは本質を忘れ慣習にとらわれているだけのような気もするのですが、そこは講評をいただくまで待ちましょう。
 
漫画を提出してから今日まではよくわからん無目的な毎日を過ごしていました。偶然視聴したプリパラ!がとっても面白かったので昨日と今日はバックナンバーを追うのに忙しかったです。
 
 
あと、夏休みを通じてtwitter廃人もどきになったかと思えば突然twitterをやめたりすることを繰り返していました。バイトもとても辛かったです。どんなときでも笑顔でひたむきに、世界名作劇場に出てくる主人公たちのように熱心に働き続けたところ分不相応なまでの大役を任されるに至りました。まだバイトはじめて三か月なんですがそれは。メッキがいつか剥がれるのではないかとビクビクです。でもとてもいい職場です。です。
 
 
まあこんな感じですね。書洩らしがいっぱいある気もするんですが、パッと思い出せない思い出なんてきっと大したことなかったのでしょう。というかなんなんだこの誰得記事は。

【閲覧注意】童貞、風俗経験無しがいきなりソープランドに行った結果wwwwwwwwww

これは僕がタイトルの通り童貞を捨てるためにソープランドに行ってきた体験記である。以下の内容はサービスを受けた直後に書いた率直な感想である。
なぜこれを投稿するに至ったか、それは僕が今まで童貞臭いツイートや記事をたくさん生み出してきたことに対して一応の終止符を打つためである。風俗で初体験をしたので素人童貞ではあるが。


ソープランド体験記その1
やはりセックスの快感と愛の欲求は別物であるように思う。
二○二四年九月五日、今回僕は都内某所のソープランドにおいてゆかりちゃんさん(仮名、20)に筆下ろしをしていただいた。
ゆかりちゃんさんはとても可愛くおっぱいもそこそこ大きかった。自分が童貞であるしこういったお店も始めてであることを告げると、可愛げなハイトーンハスキーボイスでとても気さくにエスコートしてくれた。おっぱいも触ったし、ディープキスもしたし、正常位でゴム出しもした。僕ははじめはとても緊張していたが、途中からはノリノリでゆかりちゃんさんを攻めるようになり、アツアツの膣内で射精する段階ではもう緊張などは無くなっていた。
でもなんだろう、この満たされない気持ちは。それはたぶん、そこに愛がなかったからなのであろう。僕が求めているのは性的、エロ的な快感ではない。愛なのだ。だからこそ愛のないソープランドでのセックスに満足できなかったのだろうと、そのように思うのだ。
これからは、僕の性に対する姿勢は変わるだろう。セックスがしたいと前ほどは思わないことだろう。しかし、愛を求める気持ちはより一層強くなった。オスとしての最高の幸せはセックスにあらず、愛であるとわかったからである。したがって、これからは人に愛されるように、そして自分も人を愛せるように生きていきたいと思う。

その2
今回ゆかりちゃんさんには女子校生のコスプレをしてもらった。彼女はなかなかな童顔だったので見た目だけはとてもそれらしかった。早急に服は脱いでもらったのでこう断言できるかは微妙だが、女子校生とのセックスシミュレーションとしては上出来だったように思う。結果得た感想は前文で述べたとおりである。
しかしそれでも僕の中の女子校生崇拝は揺るがない。それは、僕が女子校生に求めていたのはエロではなく、愛でもなく、希望あふれる若々しい姿であるからだ。彼女らのその姿は、たとえ僕がソープランドなどという低俗な場所で女を知ったとしても揺らぐことはない。希望を抱く彼女達は、僕にとっての希望であり続ける。むしろ、今回の件で「大人」になってしまった僕にとって、女子校生はますます輝かしい存在になった。万歳女子校生。フォーエバー女子校生。彼女達の幸せを切に願う。